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世界平和とは、ただの言葉である

こんにちは。

すごく突然ですが、そういえば僕はもうすぐ大学卒業です。

 

早くもあり短くもありました。

一つ言えることは

僕の大学生活はとんでもなく恵まれた唯一無二の生活であった

と胸を張って言えるんです。

「急にどうした???」

「だって、言いたい時に言いたいことを言う!!いいやん。」

 

続きますが、

僕の大学生活において少なくはありますが、

同じ野望を志す仲間ができ

愛する人ができ

多くの尊敬する先輩に会い

慕ってくれる後輩ができ

師を持つようになりました。(勝手に作りました笑)

本当に人に支えられた大学生活でした。

 

大学1年生の時は日本撤退間近のトミーヒルフィガーで働いたり

サイパン研修に行ったりIMG_0622めちゃくちゃバカンスしましたが。笑

そして2年生になる前に

ネパールを訪ね。クラブチームを創設しアクションを起こしまくっていると

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大切な、仲間ができました。

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講演会も読んでいただけることも増えてきました。

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今は、NGOでこの4年間で培ったもの活かして絶賛修行中です

この1年間バングラデシュやネパールなどにいく中で、

貧困の本質をこの目で確かめられました。

とは言うものの、まだまだヒマラヤ山脈のベースキャンプにも到達していないようなポンコツが過ごした視座の低い人生ではありますが、僕にとって多くのモノ・コトを得られた大学生活であったと思います。有難いことです。

きっとこうやって人々に感謝できるコトが、僕が人として真っ当に生きることを感じさせてくれるんですね。そうすることでしかきっと僕は生きていけないんだと思いますが。

さて、大学生活において私が多くの時間を割いて来た “ネパール”

この国を考えなかった日は、ないんじゃないかというくらい毎日必死に考えていました。

そんな4年間、私の中には1つのキーワードがありました。

世界平和です。

今回の記事は

世界をどうにかしたい!自分に何ができるか!?

を考えている人に伝えたいんです。

 

本題に入っていきますが

僕は4年間、多くの環境に触れながら、そして自身の醜い人間性と向きあった末に分かったことがあるんです。

 

それはこの世に起こるたくさんの問題の原因が

人の利己的な欲求から来ていると言うこと。

一言で言うと“奪い合い”が多くの人々を苦しめている。

しかも、いつの時代もずっと存在している。

 

世界で人々はお金も、人も、心も、服も、石油などの資源も全て奪い合って来ました。

安い服を着たり、安い食べ物を食べたり、無限に捨てられる食べ物の側で、ぶくぶく太る先進国の人間がいて。

一方では、安い服を低賃金で作り、病気になり、食べ物すら買えない人がいて、食料が大量に先進国行きの貨物に乗せられる横で、ガリガリに痩せ細っている開発途上国の子供達がいる。

一方では、怠惰の上にさらなる欲を持つものが増え

一方では奮闘の日々の果てに、力尽きるものがいる。

多くの矛盾がこの世の中にあるんだということに気づいたんです。

しかもそれらは私たちの生活に密接に関わっているはずなのに “私たちの意識の範囲外”にあること。

例を言うと

安く買える服の多くは開発途上国の人の過酷な労働の下で作られている

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僕が訪ねた縫製工場は、女性が働きまくっていました。(月収7000タカでかなり条件のいい工場でしたが、、、)

 

大学生活を通じてこういった事実が、本当に現実にあることに気づきました。

さらにビックリしたことに、その問題を引き起こしているのは私たちであることも知りました。

まず、こう言った現実を認識することって、すごく大切なことなんだと思います。

僕も含めてなのですが多くの人は気づかない!というか気づこうとしない。

では、そうなると誰も見えないところで行われている搾取はどうすれば無くなるのだろうか。

どうすれば人は“奪い合い”を止めるのでしょうか。

 

一切衆生の世界平和を願い、行動し、権威的、経済的な上下関係がなく、尊敬し、全てを分け合えるような社会をどう作るのかを4年間考えました。

 

考えた結果、分かったことがあります。

僕が追いかけていた世界平和は存在しなかった

なぜそう思うか?と考えた時に思ったのは

いつ、誰が世界平和を見た事があるのでしょうか

誰も見た事がないですね。

だから

“世界平和は、ただの言葉”

僕はそう思いました。

暗闇の中の先に、光があるかのように走ってもその先には何もない。

 

僕の予想なんですけど、きっとその先に何かを作り出したいと願った誰かがいて、それを発信した人がたくさんいたんだと思います。

きっとそれに感動した誰かがいました。

そして人々は一人歩きする世界平和に向かい、向かうことこそが人々の未知なる探究心と依存心を刺激し、平穏があたかも訪れるかのようにしている。

そして彼らはやがて死を迎え、また新たな世代が同じ道を行く。

と思うようになりました。

 

こうやって考えていくと

もはや、私たちは進歩しているのかどうかも僕は分からない

 

でも。

残酷な世の中で僕ができることがただ1つあることに気づいたんです。

この社会を変えることは僕には絶対できません。

僕が大統領になっても無理です。(というか現実的に大統領にもなれない。笑)

でも、自分自身は変えることができると思うんです

 

自分だけを変えるのは本当に簡単なこと。でも実はめちゃくちゃ難しくって。笑

 

かなり苦労している最近なんですが。

それだけが多分、世界を平和にする唯一の道だと思うんです。

だから、自分が生きる道を、覚悟を持って選ぼうとすると

僕の行動基準はすごい単純になりました。

それが何かというと。

目の前に困っている人たちがいて、それに手を差し伸べるか、差し伸べないか。

どちらを選ぶかというと、僕は手を差し伸べられる人間でありたいと思います。

ただそれだけなんだと思います。

あくまでも、

それが僕の選んだ道です。

 

駅のホームを下る階段で重そうに荷物を持つおばあちゃんがいたら荷物を持ってあげる。

両親への日頃の感謝を伝えること。

今、無性に欲しい何かを買うお金を誰かのために使ってみる。

大切な誰かを思うこと

そんなところがスタートなんじゃないかなと僕は思うんです。

 

毎日毎日、僕も欲求に負け続けていますけど、成長している実感があります。

自分も、社会もどうなるか分からない世の中で、どう生きるかをこれからも悩んで生きるんだと思います。

この大学4年間は本当にたくさんのことを学ばせていただいたことを糧に

明日からもまた、新しい自分を探求。

また、楽しい事を始めていきますので、楽しみに。

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幸せ

古川しゅうと すべて表示

どもども、努力は実る。馬鹿でも出来るってことをこの社会に示したい。
この社会でボクはどう生きたいのかを赤裸々に、でも怯えながら更新中

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