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【海外の社会的活動家に共通する1つの考え】

こんにちは。

無事にバングラに到着しました。

 

来て早々思うのがめちゃくちゃ湿気が強いし、暑い!!!

 

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34度。

「角度じゃないですよ。温度ですよ。」

 

あ。失礼しました。

※ちなみに、この両手の角度を34度にしたかったんです。

 

そんな暑い中、

ネパールのみならずバングラデシュで出会った現地の活動家と話して

共通して感じることがあります。

 

それは何かと言いますと。

 

権利を主張している点です。

 

ある人は

教育を受ける権利が

人間にはあるという

 

ある人は

ご飯を食べる権利

 

ある人は

多くの人から愛を受ける権利という

 

ある人は

医療を受けることができる権利

 

と言います。

 

結果の平等ではなく

機会の平等

が必要だと言うことですね。

 

そういった人には

深くて広い深海のような

道徳心が根底にあります。

 

では、なぜそのようなことを

思えるのでしょうか。

 

なぜ、そう思えるのか?

それは、いろいろな要因をあげ出すとキリがないですが

 

これまで僕は日本で何不自由なく暮らしてきて

1つ圧倒的に違うと思うのは

 

経験の質の差

 

現地の活動家は僕たちが考えられないような経験をして

辛い。という思いをしてきました

 

もちろん辛い思いをした人が

みんな善人になるとは限りませんが

 

ただ。誰かのために何かができる人っていうのは

共通して、「誰かの痛みを、自分の痛みのように感じられる」

ような気がしています

 

痛みをわかるためには

経験しないとわからないですよね。

 

いくら頭の中で考えたって

わからないんです。

 

 

これ、今日行ったスラムです。

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ここのスラムの家は、

そこらへんに落ちている木材や廃材、ベニヤ板

を使って、作った手作りの家です。

 

小さい時からこういった家にて

幼少期を過ごしてきたとしましょう。

 

ここにいる人たちは

 

ほとんどの人が、仕事をしていません。

 

では何をするのか?

 

街を歩くバングラデシュの現地の人に

物乞いをするんです。

 

僕たちが訪ねた金曜日(昨日)は

イスラム教徒の方にとって

特別な日であるとのことで

 

私たちが尋ねた4時には

 

多くの子供やその親が

お金がたくさんもらえる日だから

ずっと物乞いに行っていたそうです。

 

話が少し逸れますが

イスラム教の人々は

困った人に対して行う施しは善き行動である

という考えがあります。

 

日本のように、社会福祉によって貧しい人々が

支えられているシステムがあるというよりも

 

宗教的な考えに基づき個人が個人を

支え合うというシステムがある。

 

日本の募金活動とはまた違うシステムが

そこにはあります。

 

この国は

やり方は違えど

立派に富が循環している状態

であると言えます。

 

話を戻します。

 

 

スラムの人が物乞いをして得られるのは

“その日1日分を生きるための食料のお金”

 

計算してみると、50タカから100タカくらいです。

これ、日本円で計算すると。39円〜78円くらいです。

 

ドブに捨てるようにお金を使っている

僕たちからちょっと離れたところで

100円にもならないお金を

1日中必死にかき集めているんです。

 

それが、現実です。

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誰かの施しがなかった場合は、

その日の食事はなしです。

 

施しを得られなかった時は

 

深夜にお腹が空きすぎて

 

何度も

お腹が痛くなって起きるそうです。

 

ここで育った人は思うわけです。

「なぜ、スラムに住む母に生まれたというだけで、教育、愛、食を享受することができないのだろうか」

 

「そんな社会は、おかしい」

 

だから

彼らは同じ境遇の子供達を見た時に

つい、動き出してしまうんだと思います。

 

次世代を引き継ぐ子供達に

彼らが味わった同じ思いを

してほしくないんです。

 

同じ境遇の子供達に対して何か自分がしたい。

本当に何ができるかわからないけど

何かを誰かのためにしたいというのは

彼らにとって人間として当たり前のことなんでしょう。

 

そう行った思いで

現在、バングラデシュの活動家の方は

21歳から38歳に到るまで活動されてきました。

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彼の思考はシンプルなんです。

お金も何もいらない。

 

彼の基準は

 

社会が相対的によくなることを目指して、

効率的なアプローチ方法を探り良い社会を

作っていこうと言うものではなく

 

個人の不幸が多くの場所で蓄積されていて

その個人の幸福度をそれぞれが出来る範囲で

上げ続けることによって社会が良くなる。

と言うまったく違う視点から物事を捉えて

自身の倫理観で動いている。

 

未来から逆算するより

 

 

目の前の子供の幸福度をあげる

生きる糧を身につけさせることが彼らの信念であり

彼らができる役割である

と見ていて感じています。

 

だから、役割、出来ること、ルーツ、を踏まえた上で

必然的に権利を主張とするわけですね。

 

そういった人は、とても素敵です。

 

 

 

次の記事では

役割の認識の危険性について

考えを共有させてください。

 

今回もありがとうございます。

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カテゴリー

幸せ

古川しゅうと すべて表示

どもども、努力は実る。馬鹿でも出来るってことをこの社会に示したい。
この社会でボクはどう生きたいのかを赤裸々に、でも怯えながら更新中

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