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【ボクの大学生活で大切だと思ったことを論理的に説明してみた】


どうも。
しゅーとです。



今回はめっちゃ長いです。
まじでこの4年間は沢山のことがありました。



今回は、超読み難いです。
それでも書きたいなーって。
思ったから書きたいし
これが、ボクの大学生活であったし


何百万通りもある学生生活の中で
多くの同年代の学生生活の
参考になればと思う。

※あくまでも実体験です。

何か思うこと・矛盾が沢山見えるかと思いますが
ボクの実体験を客観性を持ったモノにしてくださると
とても嬉しいです。笑

そんなボクのインスタは
こちらから↓↓↓






では参ります。





私が過ごしてきた5年間(1年休学)は、“正しさとは何か”を追い求め、葛藤を重ねてきた期間であり、非常に充実したものであった。そしてその期間、関わってくださった追手門学院大学内における教職員、教授陣、そして学外の社会人、5年間も大学に通わせてくれた両親、これまで関わってきてくださった関係者の皆さんへまずはここに感謝を申し上げたい。


さて、現代において高等教育を受ける者は現在3,180,760人に登り、大学進学においては1965年時点で男20%未満、女5%未満から現在は、男49%、女35%(図1)と推移しており、知識階級や資産家だけではなく、全ての人々が大学進学できる時代である。しかし、少子高齢化が進む中で、入学者獲得の競争激化、留学生の確保などにより、あらゆる歪みが起きていることは周知のことであり「公益の社会装置としての大学」ではなくなってきている。




では学生側から見る大学は、「将来に役立ちそう」「専門的な勉強をしたいから」ということが大学に入学する上位の理由に挙がっており、現在の高等教育において意欲的な様子がうかがえる。しかし、私の実体験だと「大学に行かないと就職できないから」「親が行けって言ったから」「面白そうだったから」というように社会的な恐怖にさらされ自身の中に明確な目的がなく進路を選んでいることが多々あるように思える。



故に、学生の学習状況に言及した時に、2単位あたり45時間の復習時間が文科省によって定められている中、授業外時間で週に3〜5時間以上を勉学に費やしている比率は、若者は1年生で38.7%、2年生37.8%、3年生,35%である。つまり意欲があるのにも関わらず、実際は40%(図3)ほどしか学習しておらず、大学に入った目的が高ければ、それに伴う勉学に費やす時間が多いかどうかは因果関係ではない。



学生が有意義な学生生活を送ることは、学内における専門分野に関する知識それに伴う理解、知的見解を持つこと、卒業後、それらを活かし社会における実践をすることであると定義つけた時に、面白いことに現状としては私の周りでも多くの同年代が「大学で勉強をすればよかった」と後悔している者が多数いるのである。




ここで私は大学入学から卒業後の社会への進出の過程でなぜそのようなことが起きるのかを、学生の勉学に対する意欲と実際の行動のギャップが起きる原因の明確化、そして学生の勉学に対するモチベーションの醸成の流れを私の実体験を通して提示することが今回の投稿の目的です。


(出典)進学率の推移 文部科学省「学校基本調査」




第1章. 学生の勉学に対する意欲と実際の行動のギャップが起きる原因の明確化(時間的自由、金銭的自由、環境的自由)

私自身の実体験を話す。追手門学院大学の2015年度3月25日に経済学部の「チャレンジ入試」にて入学した私は「とりあえず入学できたからラッキー」と言った心持ちで4月を迎えた。とは言うものの学生生活「後悔したくない」と言う思いがあり、そこでまず実践したことは「環境を変える」ことであった。



私はEnglish Café at Otemon(通称:ECO)の学生スタッフに所属し、そこに多くの時間を費やした。そのことが大学生活を大きく変えたと考える。そこでは留学に行ったことがある先輩学生、これからいく先輩学生、英語の勉強を励む同年代、外国人留学生などの多種多様な人々が集まっていた。その場にいるだけで多くの人と英語を話す機会が生まれ、その英語をツールとして何をしていきたいのかを考えることが当たり前の空間がそこには出来上がっていた。



学生の目的意識がある空間を作り上げたキャサリン先生、野口職員(当時の職員)TJ(当時の職員)そして国際交流センターの方には感謝してもしきれません。



ECOに所属する多くは留学するために語学の習得に励む。少なくともTOEIC500点以上は必要であるからである。まずは登竜門としてTOEICの勉強をすることがECOでの見えないルールであった。互いに目的がある中で、勉学に励む同志との出会い、そして快く教えてくれる先輩学生との出会いはまさに私にとって最高の学び場であった。




そして私の人生をさらに転換させる出来事があった。2015年10月ごろ、今では中国人の大親友であるTONYから誘いを受けた。それはネパールの文部大臣が追手門学院大学に教育視察として訪問されると言うことであった。ECOにしか流れてこない情報であり、自身の積み重ねてきた英語のスキルを実践するいい機会だと思い、私はアテンドをする学生スタッフとして参加した。それまでの間に当時高校の英語教員であった方に、「何を話したらいいか?どんなことを聞けばいいのか?」を、相談していたことを覚えている。




当日、ネパールの文部大臣から発せられた言葉は「ネパールには、教育を受けることができない子供たちがたくさんいる」と言うなんともネガティブな情報であった。私はそれまで考えていた質問がまっさらになり、何も聞くことができず、最後に「ネパールに行きたい。連絡先だけください」と関係者に言ったことを覚えている。




そこから私はネパールにのめり込むようになったのである。またアルバイトに関しても私は自身の興味のある所で働きたいと思い大手アパレルブランドのトミーヒルフィガーでアパレル店員として働くことになる。たまにくる外国人を相手に英語を勉強したり、人との対話の中で新たな価値観を得ながらお金をいただき、アルバイト代でTOEICの本を買っていたことを覚えている。



この時は経済学への興味は微塵もなく淡々とテストやレポートをこなし、ECOで英語を勉強したかった。そして海外に行きたかったと言うのが自身の心情であったと思う。

学生の勉学に対する意欲と実際の行動のギャップが起きる原因は多岐に渡るが、私の実体験として強くあるのは【大学生活における時間的自由、金銭的自由、環境的自由とそれに伴う責任の自由】である。


時間的な自由と金銭的な自由に関しては、ほとんどの学生にとって大学生の間に努力したことの上位はアルバイトである。アルバイトに時間を投資することは「成長できるから」・「知らなかった世界があるから」などの理由もあるが、実際は金銭的な自由を得ることが主な目的であると考える。




自身の時間を売ることによって得られる金銭的自由により学生は遊びに費やし、勉強道具を買い足す。それらが4年間の学生期間のルーティンワークになっていることが事実であるならば、アルバイトによるわかりやすい金銭的なメリットや実体験に基づく新しい価値観との触れ合いに価値を感じ、勉学に対し画一的な見方しかできず、最後には意義を感じず、意欲と好奇心が失われると受け取れるのではないかと考える。




次に環境的な自由に関して、同じコミュニティに所属するとそのコミュニティ内で行われることが当たり前となる。例えば日本の大手チェーン店吉野家の牛丼を素手で食べている人がいるとする。私たちは行儀がよろしくないと判断するかもしれないが、それらはアジア圏では当たり前に行われている慣習なのである。こう言ったことから、当たり前にアルバイトをして、なんとなく過ごしていると学習意欲の高い学生と関わる環境がなくなり、勉学を励むことが当たり前でなくなるのである。



第2章. 学生の勉学に対するモチベーションの醸成

ここで結論じみたことを言うが、勉学に対するモチベーションの醸成は諸段階において好奇心が必要であると考える。大きく学びに対する好奇心の醸成は2つあると考える。
①想像力が豊かでそもそも知的好奇心が高く、学術に没頭し社会との繋がりを見出せるタイプ。
②実体験に基づいて、学術との繋がりを見出せるタイプである。



フォーマル→インフォーマルか、インフォーマル→フォーマルのどちらかと言うことである。勉学に対するモチベーションの醸成方法は多岐にわたるかと思うが、私自身の実体験として、3つの段階があると考える。


1.生活時間において学校にいる量的、質的時間を多く、各学部への情報に触れる環境の確保

2.自身を取り巻く環境での生活と自身が所属する学部や所属大学の他学部への興味や繋がりを見出す事により知的好奇心生み出すこと

3. 自身を取り巻く環境を選ぶことで、勉学と生活の新たな繋がりを見出し、学内と学外の位置付けをすることで自身の思考の深化を図ること。




私が勉学に打ち込む理由となったのは、ネパールの孤児院に住む子供達へノンフォーマル教育としてのフットボールができる環境作りであった。私自身3歳から18歳まで選手としてフットボールに関わってくる中で、小学校では全国優勝を収め、中高と副キャプテンを務めチームを統率する力、その役割で必要になる力がついた。つまりフォーマル教育としては成果を残すことができなかったが、社会性、何かを成し遂げる力は身についたと自負できる。



私たちが子供達に対して「餌ではなく釣り方を教える」ことを最終ゴールに定め、そのための語学を習得することを目的としてアクションを起こしていた。それゆえにツールとしての語学を習得するためにECOに留まることになる。



それからは、学部の勉強ではなくネパールでの活動を前に進めるために学内における教授陣から愛のあるアドバイスを頂きながらアクションする中で「正しさとは何か?」と言う、疑問を覚えることになる。その理由は孤児院というミクロな単位で物事を考えてしまうと、ネパールにおける全ての問題を無視してしまうことになる。



そうではなく、ネパールの社会的現状やグローバルな社会で見るマクロな視点で物事を捉えた時に、根本的な問題解決のためには多方面からの取り組みが必要になり、それはネパール国内の問題だけでなく、全世界が関わる問題であることに気づいたのである。




その時に経済学に打ち込まなければ「ネパールの孤児院の現状は変わらず」無意味な支援を続けることにつながるということを理解したのである。そこから経済学に興味が湧き、今に至るまで資本主義に対する疑問や本質的な経済のあり方に関して考えるようになり、個人の幸せとは?という問いに対して精力的に考えるようになったのである。




そこからは、今のままでは問題解決には程遠く、自身が子供達の模範になれるよう今ある環境を変える必要があると感じ、かなりハードで迷惑をかけっぱなしであったが学内において上田先生のゼミに参加させていただいたり、佐藤先生をはじめとする経済学部の先生たちと積極的に関わるようになった。




そう言った環境にいる中で勉学の重要性、そしてそこで得られる知識、思考、知性が自身の倫理観を形成することになったのは言うまでもありません。これからの社会生活において必要なことをたった、1人の学生に真摯に向き合ってくださった教職員の方に大変感謝しております。



さて、【① 生活時間において学校にいる量的、質的時間を多く、各学部への情報に触れる環境の確保】に関しては第1章で述べたように、ECOに身をおき語学の習得に励んだことが、自身が勉学に興味を持ったきっかけである。その中で語学を習得する意欲は、- 憧れの先輩との徒弟関係 – 同年代に負けられないライバル意識であった。それらは自身に多様な情報、熱意、思考を変えてくれるのであった。



【② 自身を取り巻く環境での生活と自身が所属する学部や所属大学の他学部への興味や繋がりを見出す事により知的好奇心生み出すこと】に関しては、ECOには他学部の学生が滞在し、学んだことを英語で共にするなど、多くの知的好奇心を掻き立てる存在があった。それらの情報に触れることでネパールでの活動では、自身の中で心理学では、社会学ではこう言った観点から物事を見ることができるなどの視点を仲間や教授陣から教わった。それがいつしか勉学への知的好奇心に繋がったのである。



【③ 自身を取り巻く環境を選ぶことで、勉学と生活の新たな繋がりを見出し、学内と学外の位置付けをすることで自身の思考の深化を図ること。】に関しては、自身の生活に対する繋がりを持つ学問に対して、より考えを進化していくためにはより多くの学外の人々と関わる必要があると考え、学外のNPO職員、起業家の方々とお話する機会を持つようになったのである。



今までは経済学を学ぶ中で資本主義社会を抽象的にしか捉えることができなかったが、学外に出て資本主義社会を構成する企業の方々とお会いする中で、現在社会的課題として捉えられるものがなぜ起きるのかを身体で少し理解することができたのである。


そこで学んだことは資本主義社会におけるビジネスのあり方とそれがグローバルに及ぼす影響である。それらを踏まえた上でなぜその問題が起きるのかを明確にし、考えを深化させる場は私にとって大学であった。卒業後は自信が4年間培ってきた経験と知識、多少のノウハウを活かして希望であったNPOの職員として働くことになっている。


第3章 まとめ

学内における専門分野に関する構造的な理解、それに伴う知識の体得、知的見解を持つこと、卒業後、それらを活かし社会において実践をすることが有意義な学生生活であることは、初段階で知的好奇心を持つことが最重要課題である。


私自身はフォーマル→インフォーマルか、インフォーマル→フォーマルのどちらかと言うと、後者であった。多くの人が勉学に興味がない中で、私が知的好奇心を醸成するために推奨することは、どれだけ実体験として自身の生活と勉学をリンクさせることができるのかである。



つまり「りんごの皮の切り方を学ぶよりも、リンゴの皮を切ってしまって、その実体験から知識、方法を学ぶ」ことに感動し、知的好奇心を育み、その行動を監視してくださる師を見つけ、どう学んでいくかで個人の有意義な学生生活が変わっていくものであると考える。



私の実体験から【学内→学外→学内→学外】この繰り返しがとても重要であった。学内で学んだことを学外(社会の尻尾)にアウトプットし、気づいたことをまた学内でインプットする。そしてまた学外でアウトプットする。そうすると、社会との関わりの中で応用を効かすことができる学問に4年間を使うことができる。



しかし量的に時間を投資することが正しいことではないし、質的な面も考慮しなければならない。そのバランスを取るための判断軸においては、完璧なものは絶対に作ることができないため毎回、自身が定めた目標を決めることが重要である。



こういったことを意識することで私は、社会との関わりの中で、目的もなく知識を溜め込み、無駄に論理的思考力を高め、知識があるかないか=教養がある人と言うふうに価値判断することしかできない輩を増殖しないことに繋がると考える。



自身に実体験のない物事を話すことは、対立を生むだけで知識としての物事の捉え方でしかない。リアルに起きていることに、身を以て感じ、その上で勉学に励むことが重要だと考える。つまり昨今の学生はただ勉強すればいいと言うだけでなく、時代の流れを掴み、ジェネラリストではなく、スペシャリストかつ、ジェネラリストにならなければいけず、どう学生生活を過ごしていけばいいのかを、出来るだけ早い段階かつ、しっかり考えていかなければならない。


最後に

この投稿が全ての大学生にとって有意義な大学生活を送るための参考になることを私は強く望む。また私は追手門学院大学に通い様々な人に支えられこれまで学びを得たことは一生の財産になると自負できる。これからも学び続け自問自答し続ける中で、同年代の皆さんと共に未来を築きたいと強く願う。




【参考文献】

・七つの習慣(1989 スティーブン・R・コヴィー)free press

・学力の経済学(2015 中室牧子)discover

・GRIT(2016 アンジェラ・ダックワース)

・大学への進学理由(ベネッセ総合教育研究所)

https://berd.benesse.jp/berd/center/open/report/shinrosentaku/2005/houkoku/furikaeri2_1_1.html

・大学への進学理由:文部科学省 平成29年度学校基本調査

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2018/08/02/1407449_1.pdf


カテゴリー

幸せ

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