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全国のサッカーバカに向けて




”サッカーバカ”



サッカー経験者なら
一度はこの言葉を聞いたことが
あるかと思います。



サッカーバカとは



「ボールはともだち」

と言う名言を残した
キャプテン翼くん


彼のようにボールと遊び。



サッカー以外は見向きもせず。

ただひたすらにプレイを楽しみ
苦しさに耐え、その先にある
勝利を目指している輩です。




やるときは
凄まじい意識で物事に打ち込みます。



しかし。。。



サッカーバカに
共通して言えることが
1つあります。



勉強ができない



もう一度言います。


勉強ができない



実は
これこそが
サッカーバカが
サッカーバカと
言われる所以です。



とあるサッカーバカの高校生活を
例に出してみましょう。


07:15からの朝練に
疲れすぎて
1時間目は
爆睡してしまう。


2時間目には
朝練でエネルギーを使ったため
空腹に耐えるのに必死です。

休み時間に
お弁当が空っぽに
なります


3時間目には
お腹いっぱいで
眠くなって寝ます


4時間目には
クラスのサッカー部連中と
「フェッ」と奇声を出し
先生が怒るのを見て楽しみます。


お昼休みには
お弁当が空っぽなことに気づいて
学食を食べにいきます。


5時間目には
お腹がいっぱいで寝ます。


6時間目には
部活モードに入るため
少しずつ集中力を高めていきます。


と言う流れです。


この例は結構当てはまっている
じゃないかと思ってます。笑


つまり
サッカーのために
生きている

と言っても
過言ではありません。



そして恐怖の
中間・期末テスト。。。


サッカーバカは
1週間前から
勉強を始めることが
当たり前です



死ぬほど
頭に詰め込んで
テストが終わった翌日には
全てを忘れています。


しかし
勉強ができないので



赤点は当たり前。



申し遅れましたが。



これ。
ボクのことです。




留年する可能性は
上から数えた方がきっと
早いはずです。



ちなみに
サッカー部では赤点を取ると
坊主にしなければなりませんでした。



お察しの通り
サッカーバカ(ボク)は
勉強ができないんです。



唯一!!
授業で覚えたことは


先生にバレずに寝る技術だけは
一丁前になることです。



きっと
社会に出た時に
つまらない会議で上司に
バレないように眠ることは
誰にも負けません。

※子供は真似しないでね



そう。これが!!!



サッカーバカの生態です。


本当にどうしようもないのです。


その象徴的な生活を
まさに実践してきたのが


サッカーバカの
古川シュートです

でーーーーーーーん!!



どうもです。
始まりました。


サッカーバカの下克上物語


なんとも
中二病がかった
名前ですが


今回の記事は、


勉強もできない
サッカーバカが

負け組同然の
自分の人生の階段を
どう駆け上がることが
できるのか???


をテーマとし。


実体験を元に
解説していく記事です。


情熱をありったけ込めた記事を
よろしければお読みください。



ボクが高校生の時のことを
もう少しだけお話させてください。


もちろんのこと
サッカーバカでしたので



とにかく意地っ張りが
すごいんです。




ボクの辞書に謙虚と言う言葉は
ありませんでした。



高校生の時の気に食わない
同級生ランキングの中に



スポーツも出来て
勉強もできる
少女漫画の主人公
みたいなキャラ。

とか
文化祭とかも
クラスの団長を担い
後輩の女の子に
「キャーキャー」
言われるようなキャラ

がいました。


めちゃくちゃ
ひがんでました。笑



そんな
ボクの文化祭での
役割の1つがこれです。


”聖火台の炎


内容は
胸にポンポンをつけて
ひたすら学校の屋上で
ダンスすると言うものです。

クラス団長と比較すると
圧倒的格差。。。



誰もボクが炎であることは
気付きません。


そんな中
しっかりと役割を全うし
盛大な拍手をいただきましたが


口から出てくる言葉は
「ええなー!!! 」


の一点縛りでした。


そんなバリバリ
何にもできない
ボクの高校生活。



これだけでは、
終わりませんでした。。。

結論から申し上げますと


大学受験の失敗



これがボクにとって
初めての大きな落とし穴であり
転機でした。



サッカーバカじゃ、やばいぞ!
と強く思わせてくれました。


生まれて今まで


義務教育期間の全てを
サッカーに捧げてきました。

ここだけ見れば
ボクのそれまでの人生は
日本の教育の汚点といっても
過言ではありません。


ボクは
高校3年生の11月まで
選手権に出場するために
サッカーをしかしてきませんでした。


勉強もしていません。



それ故に
選手を引退したときは
大学受験に対する焦りしか
ありませんでした。


夜遅くまで
勉強をしましたが


ときはすでに遅し



大学受験で
前期・後期と受けましたが

40万円以上もの
大学受験費用を支払い
全ての志望校に落ちました。


受験結果を待つんですけど


明らかに
大学から送られてくる
薄い封筒を見たら
分かるんですね。笑


開けてみると、
期待していた通り
”残念でした。。。”
と言う言葉。。。


それを見るたびに
自分に自信が無くなってきます。


本当にその時は
ショックで。


ボクは
マジで親不孝だし、、、
なんで自分は生きているんだろう?



なんてことも思って
自分の部屋にこもって
人生で初めて一人泣きを
したのを覚えています。


初めて
自分の存在する意味に
向き合った瞬間でした。



絶望しかけていたある日
ボクは、高校の時の先生から
電話をいただくんです。


「シュート。追手門学院大学ってところが」
「後期落ちた人のために入試をしてるぞ」




もう浪人する間近の時でしたので
まさに希望の光だったのです



そしてすぐさま申し込み。


奇跡的に倍率5倍以上の中から
受かったのです。



合格日はなんと・・・


3月26日


1週間後に入学式でした。笑


その時は
とにかく安心したと同時に


親もたくさん泣かせた。
金もかかった。


そんな罪悪感で
いっぱいだったんです。



これが入学当初のボク
顔がパンパンです。笑



今回の件で
1つ教訓ができました。


それは。


やるべきことを
やらなければ
地獄を見ることになる


しかも、大学受験に関しては
すんごいシンプルで


ボクが勉強してこなかったから



これって大学だけでなく
後回しにしちゃってしまうことって
誰にでも起こりうるもの
だと思うのです。



プロを目指すなら
勉強できなくてもいいかもだけど
サッカーだけをしていても
何の役にも立たない。



本当に
これに尽きると
気付かせていただきました。


そこからは

サッカーバカじゃダメ。



そうやって心を入れ替えて
英語の勉強をクソ真面目
するようになります。

沢山の職員や学生
そして留学生に恵まれて
ボクの英語のスキルはドンドン
上がっていくことになります。



ある日のことです。


ボクの人生を変える
機会が巡ってきます。


ネパールの文部大臣が
ボクの大学に来たんです。

左の方が
ネパールから来られた
ヤダブ文部大臣です。


右の方が
コーディネーターとして
プログラムを実行された
吉川さんです。


後で知ったのですが、
ダボス会議で若者代表で選出される
やばい人だったらしい。


この2人が
ボクの人生を
大きく変えること
になります。


ボクは文部大臣が来ると
聞いて思いました。


高校生の時の
後悔する自分には
もうなりたくない



そうして決意を決めて

ヤダブ文部大臣に
ダメもとで会いに
行くことにしました。


そして。


なんと学生代表の一人として
文部大臣と会食にてお話しさせて
いただけることになったんです。


当日、会食会場に行くと
豪華な料理がずらりと並び
学長などのお偉いさんがいて
当時は初めてだった大人の場に
参加することになりました。


緊張しながらも
文部大臣とお話を
させてもらっていると

こんな一言が発せられました


「ネパールの子供達は
ご飯を食べることができない。」

・・・

・・




ボクは一瞬戸惑いました。


普段食べないような料理を
目の前に笑顔な自分と


ただでさえご飯を食べることが
できない子供達がいる

リアルに


その違和感に
動揺を隠せませんでした。


そうして
その時は終わり
ボクは一目散に


コーディネーターである
吉川さんに連絡をして
一言言いました。


「ネパールに行きたいです。」


そしたら


「いいねー!!!」
「いいねー!!!」
「行こうよー!!!」


とハイテンションで言われ
あっさりとネパール行きが
決まりました。笑



今思い返すと
何も考えてなかった。


ほぼほぼ勢いで
よく声をかけたと思います。



そして受け入れてくれた
吉川さんにも感謝です。


ボクにとって
衝撃の出会いだったし


少し怖かったけど。。。
何故か・・・

見知らぬ世界だからこそ
探検したい気持ちもあった
自分もいました。



そうして2回生になる前の
2015年3月12日


ボクはネパールに
行くことになります。


当時は片道22時間かけて
行っていました。笑

中国の空港のトランジットでは
極寒の中でセーター1枚で
死ぬかと思いました。


そうしてついた場所は
アジア最貧国と言われる国
ネパール


ネパールの空港を降りると
ボクを待ち受けていたのは
カオスな景色です。


まず鼻を刺激するような
ムンとしたカレーの匂い


そこら中で犬が吠えていて



さらにはゾンビのように
群がってくるタクシードライバーが
来たりと。。。

ボクは
もう帰りたいと思った。笑



でも
大学入学時の想いを
思い出すと


帰りたい気持ちを
心の奥に押し込む
しかありません。



現地に着いてからは
大学の会食で
知り合った人のご紹介で


孤児院に住む
子供たちと
出会うことになります。


孤児院に着いた途端


ボクを待っていた
子供達が勢いよく走って来ます。


あ。。。

間違えました。
あまりの可愛さに。。。


自分の幼少期の写真を
載せてしまいました。




こちらです。

可愛いでしょ?笑



実際に
会って話してみると
何処にでも居るような
子供達でした。




そして彼らは言います




「横の空き地でサッカーしよう」



ペコペコのボールを片手に
言った子供達との距離を一気に
縮めようと思い参戦しました。



サッカーバカの本性
また露わになる時がきます。


で。


ボクはあることに
気付きました。



あれ。
シューズとゴールは?



彼らは言う。


「シューズなんてないぜ」
「ゴールは石を組み立てればOKだ」



びっくりして
ボクは現実を受けきれなくて
少し顔をうつむいた後・・・


どうせなら
ボクも裸足で子供達と
一緒にサッカーを
しようと決めました。


するとやり始めて20分後。


「痛いいいいいいい」



空き地にかん高い
悲鳴が響き渡りました。


どうした。
どうした。
どうした。

ボクの足の裏の皮が
めくり上がりました。笑


ちなみに
爪も剥がれました。



こんな怪我は日本ではありえない。


そんな
ありえない危険と
隣り合わせにいる子供達が
この世界にいることを通じて・・・


この地球で
同じ時を
別の場所で
生きていることを
通じて


世界はなんて不平等なんだ


と感じざるを
得なかったんです。


ボクは
なぜか
悔しかった。


でも
子供達の前で
悲しい顔をすることも
失礼だからと思って


作り笑いで子供たちが
プレイしているのを見てると


ある一人の青年が
来てこう言いました。


「サッカーが大好きだ」
「全てを忘れられるんだ」



その言葉を聞いた時
ボクの胸の淀みが
すっと消えていったんです。



この環境でも
彼らは当たり前のように
サッカーをしている事実に
ボクが悔しい思いを
することはなんて
おこがましいんだと思ったから。



それと同時に
とある感情も湧いてきました。


彼らのもっともっと
サッカーをしたい!!って
想いを応援したい。

もっと夢を
一緒に見たい!!!



この時にボクは
使命を感じた気がしました


彼らを支えられるのは
ボクしかいないのかもしれない。


そして


ただ。ただ。
十分な環境でサッカーをして欲しい。



そんな思いを抱えて
「また会おうな」って言って
ボクは日本に帰ってきたんですね。




そんな
夢のようなひと時が終わって

数日も経たないうちに。。。
またいつもの大学生活に戻ります。







毎日
友達と夜遅くまで
飲みまくって


バカみたいに
ウイスキーばっかし
飲んだり。。。


写真フォルダは酒だらけ。


馬鹿騒ぎする中で、
その楽しさに浸りつつも


心がずっとモヤモヤ
してたんです。



それが何かと
自分の胸に問うと。


ボクの胸の中には
ずっと子供達の笑顔が
いるってことだったんです。




とは言うものの

数ヶ月間。。。
何かしたいけど
何も出来ない自分。。。


お金もない
ネパールにいけない。
大学生活で精一杯って
言い訳を考えたり。



そうやって悩んでいる

たった今も

サッカーを十分に出来ない
子供達のことを考えると



さらに
自分を情けなく思った。


そうして半年が経った時です



何を思ったか
2015年8月チケットを取って
またネパールに行ってました。



今回は、、、
シューズとサッカーボール
をスーツケースにパンパンに入れて

また子供達に会いに行った。


そして気がつけば
サッカークラブ創設を
していたんです。



最初は自分のお金で
現地のコーチを雇って
週一の練習を出来るようにしました。


ボクに出来たのは
たったそれだけだった。

それだけなのに
子供達は本当に有難う!!!
と言ってくれたんです。


子供達の嘘偽りのない言葉が
本当に嬉しかったし


その時はひたすらに
時間を忘れるくらい
一緒にサッカーしてました。



でも、お別れの時は来ます。


ボクは日本に帰らなきゃいけないから
「また、会おうな!」って言って
バスに乗りこむんです。


後ろを振り返ると


バイバイしてくれる
子供達の小さな手が

少しずつ小さくなっていくのが見えて
次第にボクの胸が詰まってきて。

グッと涙をこらえるしか
ありませんでした。




帰国後
ボクに転機が
訪れます。



あるサッカーバカと出会うんです。

たけなか しゅん
ボクの一個下の学生でした。


彼は
とにかくクレイジーで


「沖縄をドリブルで一周してきます」


と、コンビニに行く感覚で
言うんです。笑



ボクは
彼に一目惚れして
猛烈にネパールをアピールした後
一緒にネパールこどもクラブ
立ち上げました。


早速、団体の名刺を作って
ウキウキして企業にサポート
の営業に行くけど



片っ端から言われます。


「どうなるん?」


的なことを言われて
撃沈して、、、


超悔しい思いをして。。。



じゃあ、募金活動をすればいい!!
と決定して



京都タワーの前で
ボク一人で募金活動を始めたけど


2時間で集まったのは

たった3円。



今覚えば
逆に3円しか集まらなかったのは
奇跡だったと思っています。


たまに
焼酎持ったおじさんが
アホかーーー!!!
って言ってきたり、

さらには
道路申請許可代金が
3000円だったので大赤字です。笑



それでも
全然集まらないから

じゃあ、稼げばいい!!!
って言って。



フットサル大会を開催するけど

集まったのは8人。


グラウンドレンタルが
30000円だったので
これまた大赤字。笑




ボクたちは思った。



「あれ。何してんだっけ」



ただ
子供達にサッカーをしてほしい。
それだけなのに。。。


自分の財布も空っぽになって
今までよりも沢山アルバイトをして




自分のココロも
空っぽだった。




僕たちは
この活動をする理由を
完全に見失っていたんですね。



こんなので
子供達のサポートなんて
出来るのかよ!!!



と思うように
なっていたんです。


自分と葛藤しまくる期間が
1年ほど続いたある日。。。


国際協力活動をしていた先輩の
卒業式のシーズンが訪れます。


ボクは先輩が大好きで
先輩たちと世界平和について
ガチで朝まで語り尽くしたりした。


そんな時間が大好きだったし
将来は一緒に社会を変えような!
って乾杯していました。


ある先輩は
超大手に就職して行きました。



ボクは
ものすんごく
怖くなりました。



社会のリアルに直面したんです。



自分に目を向けてみると
まともに活動も出来ていないし


友達から
「卒業後は、どうするん?」
と言う言葉を気にしたり


卒業が迫ってくる事実を
目の前にして


ボクも同じような
道を辿ってしまう。
。。


そう思うようになりました。

そんな
ある日のことです。

この方は藤原ひろのぶさん。

ボクが大学2年生の時から
ずっと気にかけてくれていた方。


ボクの悩みを打ち明けると


「おお。シュート」
「一緒にやるか?」



この一言で
ボクは藤原さんの元で
インターンをすることになりました。



そこからは
訳も分からない業務を
死ぬほどこなして、、、

お酒を飲みまくって、、、
無駄にお酒が強くなって。。。


そして
2019年4月に大学を卒業して
藤原さんと共に
働かせていただけること
になりました。


尊敬する方の一人であり
ボクの師匠です。
(勝手に言ってます)



それから
社会のあり方や
活動のやり方や考え方など
沢山のことを身近で学ばせて
もらっています。


貧困問題
環境問題
資本主義社会とは
などなど


そして
この活動に携わる中で
一番の収穫がありました。



今の自分の環境で
役割を見出し

未来のために
全力を尽くしている
カッコイイ大人の方が沢山いる

それを知った時にボクは。


自分が今までなんと
自分勝手に行動していたのかを
知らされました。



それから


全ての人を
心の底から
尊敬できるように
なりました。




今も藤原さんの元で
働きながら学んだことを
ネパールの活動に活かして
続けています。



で。



実は
ボクが卒業してから
ネパールの子供達に
1つの変化がありました。




決して良いニュースでは
ありませんでした。


孤児院へのアメリカからの
支援が止まり
大家さんに家を出て行けと
言われていたんです。




衝撃でした。



このままだと
彼らのマイホームがなくなる
今まで住み慣れた家にいれなくなる。


子供達が
行き親しんだ学校も
転校しなくちゃならない。


子供達が
”ここは自分の居場所だ”
って思える場所はどこにあるんだ。


そんなことを考えると
半分パニック状態でしたし




とにかく
新しく借りる家賃を送らねばと
準備を進めていました。


送金した後のことです。

その時は8万円ほど
だったと思います。


ボクたちが
血反吐を吐いて
お預かりした資金です。




そのお金で買われる物が
日本中にはいっぱいある。



なんで
子供達の命って
お金よりも安いんだっけ?



そんな疑問を
頭をくぐらせながら

きっとこの社会の
何かが狂ってんだ
そう思うに至りました。


でも、悩んでいる時間は
ありません。


どうにかしなければ
どうにかしなければと
悩みました。


2週間ほど
悩んだある日



この活動を続けるのか


それとも彼らを無視して
自分の成長を追い求めて
日本でガンガン働くのか。。。



ボクたちに
何が出来るのか?


と追い詰められていた時


1つの電話がきました。

ネパールの子供達からの電話です。


彼らは相変わらず
元気でした。


「いつくるの?」
「早く会いたいよ」



そんな
子供達の無邪気な笑顔を
見た時にボクが思ったことは
1つです。



「子供達の家を建てる」



なんとしてでも。
決意がその時に固まったんです。


ただでさえ
何も出来ないボクたちが
家を作るなんて・・・

何を言っているんだ。
と言われると思います。



今でも
「お前がまず、自立しろ」
と言われることが多いです。



でも。



ボクは彼らと
出会ってしまった。


この事実は誰も否定できない。



何よりも
目の前の問題を
放棄する自分でありたくないと

本気でそう思ったんです。


それからもこの半年間
経営者の方に頭を下げに
愛媛に行ったりしました。

本当に暖かい人に恵まれたんです。



一方では、弱みを突かれて
話を逸らされて終わったりと
沢山のことを経験しました。




それでも
諦めたくなかったし、


クラウドファンディング

チャレンジしたことなくて
不安でいっぱいだったけど
実施したんですね。


いざ、蓋を開けてみると
沢山の方のサポートがあって
100万円ほど調達することが出来ていました。


とは言うものの
残り300万円くらい必要に
なるんですけど。笑



きっと。


ボクたちは
社会人になったし
歳を重ねるにつれて
どんどんおじさんに
なっていく。

死に向かっていくのは
止めることができないけど。


まだまだ前に進める!!
そう思いたんです。



そこから
ふと、思ったんです。



なんでボクはこんなにも
熱中できるんだろう???



その答えがその時に
わかった気がして。。。


ボクたちの根底にあるのは

できる限りの全てを尽くして
未来を背負う子供達に

未来を残したい。


それが

人類として
先代が受け継いできた

バトンを受け取り

また次世代に繋ぐ
ボクたちの役割だと思うから。


きっと
ボクが生まれる
何百年も何千年も前から
未来を思って生きてきた人がいて

そのしかばねの上に今住んでいる。

そこに
感謝できたからこそ
ボクたちも
そのバトンを受け継ぎ
未来へつながなければ
と思うんです。





色々と長く話しました。
今になって気がつけばですが。






赤点満載の落ちこぼれ。
サッカーバカが。。。



大学在学時代に
サッカーバカじゃダメだ。
絶対に後悔したくない
という
ところから全てが始まって



かっこいい大人や同年代の仲間
そしてネパールファミリーの
支えが重なりまくって


今は、
人生をかけても良いと思えるほど
全力を尽くさせてもらっています。


そこに至るまでの理由は
すんごくシンプルだと
思っています。

”諦めなかったから”

ここに尽きます。


最初から
やりたいことなんて
見つかるわけがないし


自己分析とか
マジで意味が
ないと思うんです。


何かを諦めずにやった結果が
やりたいことに繋がると
ボクは思います。



そして
これからも諦めるつもりは
ありません。



さて。



ここから
重要なのですが

ボクたちのストーリーは
まだまだ続くんです。




ワンピースで言うと
ゾロがドロおにぎり食った
ところくらいのシーンですね。


まだまだ
サッカーバカの下克上物語
は続きます。。。


ボクたちとともに活動する
ネパールファミリーは
86人を超えました。


この数年でネパールのみならず
何百人、何千人以上の同年代が
共に社会貢献をしたいと
思う繋がりを作っていきたい

と思っています。


ここに来た同年代の仲間達と

自分ができる範囲で
社会のためにできること

自分の得意・好きなことを
通じて社会にできること


を実践し


社会貢献が当たり前な社会

を目指していきます。


それができる大人が
カッコいい大人だと思うのです



さて。
具体的な取り組みとして


ボクたちは
考えていることがあります。



冒頭でも言いましたが
全国のサッカーバカを応援したい


まずは伝えたいこと1つ目


サッカーバカこそが
唯一持っている才能について

-ボクが高校生の時-


ボクはレギュラーにも
なれないような
ポンコツキャラでした。


朝練も全力で
練習も筋トレも全力でやりましたし
チームではいわゆる”頑張り屋さん”



そうして努力を続けて
ボクは3年生になった時
1つのチャンスが巡ってきたんです。


トップ・チームでプレイができる。


でも、実際はどうだろうか?




いざ入ってみると
ボクのレベルでは
トップ・チームのレベル感にも
ついていくことができなかったんです。



完全に邪魔者と言うやつです。


ボクはその時に思いました。
ここで活躍するのはボクじゃないし


むしろボクは
この崩壊しかけている
チームを1つにせねば
と思うようになったんです。


ある観点から見ると
妥協に見えるかもしれないけど
ボクは本気でそう思ったんです。

全ては全国のために




そうして
Aチームから落ちて
ボクは統括という立場で
機能することになりました。。



ある日のことなのですが。

高校の部活動のチームメイトに


小学校の時から
プロ候補の選手がいたんですね。


でも
中学生の時に
膝をやってしまって。

なかなか
思う通りにプレイが
できなかったんです。


パワー・スピード・技術・センス
共に申し分ない。

でも
1つ問題があった。


まともに練習をしない。
場の空気を乱している。
全然走らない。
体力が全くないのだ。
実際に試合でも使えない。


そんな選手はこのチームには
必要なかったと思われていたことは
間違いなく事実です。


でも、ボクはずっとずっと
毎日、毎日必死に練習をして
彼のようになりたいと思っていた。


でも
どんだけ頑張っても
なれなかった。


ある意味スポーツは残酷。
ってことをその時に知りました。



そんな彼を見て、
ボクはほっとけなかったんです。


彼ほどの実力がもったいないし
彼ほどの選手はもっと
前にいるべきなんだと思ったんです。


そうして、
ボクは彼に言いました。

「できる!!やろう!!」
「できる!!やろう!!」


そして彼は猛練習をして
トップで試合に出場した。


と言う結論なのですが。



ここから何が言えるのか?


サッカーバカこそが
唯一持っている才能とは。



スラムダンクの
安西先生の言葉に
全てが集約されていると思ってます。



「諦めたらそこで試合終了」

諦めなかった。



諦めないことは
才能だと思うんです。


本当に
これだけです。



今からちょっとだけ
過去を思い出して
見て欲しいのです。



今、高校生の人も
大学生の人も
社会人になった人も


あの時、毎日必死に全国を
目指して練習していた
自分を思い出して欲しいんです。


あの時
本気でプレイしていた自分のように
諦めなければ絶対に
結果が出ると思うんです。


それがサッカーバカです。


さらに噛み砕くと
サッカーバカは
なぜ諦めないのかと言うと


サッカーバカは
“成し遂げる経験“
をしてきたから


これが
唯一サッカーバカと
そうでない人の違いです。




ボクたちは誰よりも
苦しい思いをしてきたし
苦しい思いの先には
達成感があることを
知っているんです。



実は。


その経験がないのと
あるのとでは


何かにチャレンジする時に、
雲泥の差が出ます。


なんなら
成し遂げる経験
さえあれば


大抵のことは
諦めずに頑張れると
実体験を持って言えます。




それを証明する言葉として
本田圭佑選手は言います。

1年後の成功を想像すると日々の地味な作業に取り組むことができる


1年後成し遂げるために
1年間毎日成長し続ける。



成し遂げる経験を
ずっと積み重ねてきた
本田圭祐選手だからこそ
言えることだと思います。

さらには
まだ見ぬ可能性に向けて
ただひたすらに努力を
積み重ねておられます。


本当に尊敬でいっぱいです。



とは言ったものの。


初めて何かに取り組む時・・・


「成功するかもわからないのに、
そんなにリスクのあることができない」

「もっと現実を重視しろ」


「お前にはできない」

「どうやって、達成するの?」

と言う方もいるかと思います。


言っていることは
間違いないし


リスクは見定めるべきであると
ボクは思います。


しかし
リスクを気にするがあまり


多くの方が陥りがちなのは、
目標達成の方法論を
ばっかし勉強してしまうこと



サッカーバカを除いて
意外と多いのです


方法論は他の人より
いっぱい知っていますが
何かを達成した経験が
極端に少ないため。



頭の中で「できない」と
完結してしまうのです。




頭の中で完結するほど
物事の達成は甘くはないと思いますし


頭の中で完結していたら
全員が成功しているでしょう。




頭で考えられる領域を超えて
はじめて求める以上の結果が
出るのだと最近になって気づきました。





サッカーで言うところの
脳内では素晴らしいイメージが
できているけど


試合中は思い通りにはいかない。


でも
イメージしない限り
それには近づかないと言うこと

1パーセントの願望を
達成するために


99パーセントのリスク・辛さを
受け入れる覚悟を持つことを

これをサッカーバカの
身体は覚えているんですね。




何回も言いますが



だから
それを経験してきた
ボクたちは強いんです。




まずそれを
全国の夢なきサッカーバカ(ボクも)に
伝えたいと心から思っています。

最後に
サッカーバカに
さらに伝えたいことがあります。

2019年、今年の冬。

写真からお察しかと思いますが
ボク、サンタさんになります。



そしてプレゼントを届けます。



それが。


フットサル無料招待
全力自腹企画



その一発目が全国の有志の
若者の一声により

”広島”と”大阪”から
始まることとなりました。



なんで無料開催で
フットサルをするのか?



その理由は


救いたいとか
全くもってありません。



ボクはただ。


同年代を生きるものとして
ボクがみんなと
共感できることが沢山あって


その苦しみや、楽しみを
同じように分かち合える分



今の現状を放って置くことが
できないからです。




その一瞬があるだけで
参加してくれた数十人の
これからの選択が変わるのであれば


お金は全然ないけど
喜んで費やしたいし
こんなに幸せなことはありません。


なんやかんや言いましたが


個人的にはこんな環境が
ボクが大学生の時に
あったらよかったなあ。
と思うからって言うのも
あります。



つまり
ボクがしたいんです!!!

今。ボク達
同年代がすべきことは
未来の新しい何かを見つけようと
することではなく



過去に自分が持っていた
大切なことに



“身体で”


気づくことだと
思っています。



その手段として
フットサル
一番わかりやすいんです。



ネパールの子供達のように
裸足でボールを蹴って


本気で
楽しくフットサルを
することで

あの時の気持ちを
取り戻しましょう。




もう一度
足を動かしましょう!



他にも
別会場での
ボクのお話会も
させていただきます。

ぜひ。
お時間あるサッカーバカは、
来て欲しいです。


また、全国何処へでも
飛んでいきますので
呼んでください!!!



サンタさんしにいきます。笑




そして、もしよろしければこの記事をシェアして欲しいと思います。

何卒よろしくお願いいたします


こんなに長い記事を読んでくださり
ありがとうございます。


当日、お会いできることを
お楽しみにしています。



連絡はインスタから↓
SHUTY(@japanese_shuto) • Instagram写真と動画

では!

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